職員募集


児童精神医学を学んでみたい研修医の方々へ

児童精神医学を学んでみたい研修医の方々へ@

副院長 田中 哲
 児童精神医学はいま、まだ多く未知の部分を残している医学領域です。しかし現代、児童精神医学ほど保健福祉・教育・司法など他の専門領域から協力を求められている医学領域はないかもしれません。生きにくさをかかえた子どもたちが苦境に立たされる場面が、現代の問題として社会ではあちこちに散見されるためです。
 子どもの数が減りつつあると言われる現在もなお、精神的問題を呈する子どもたちが増加の一途をたどっていることはその証左ともいえましょう。そしてそれにも関わらず、この社会的需要に対応できる児童精神科医の数はあまりにも僅少であるのが現状です。児童精神医学を学ぶことができる場があまりにも少ないことがその理由の一つとしてあげられますが、大学などに児童精神医学の講座ができにくいのは、子どもたちが見せる問題の多様さに、確立した方法論が追いついていないためでもあります。
  私たちの病院は、不遇にも心の問題を背負うことになった多くの子どもたちにとっての「最後の砦」であるとともに、心ある若手の研修医たちに児童精神医学を学んでもらうことができる数少ない場であるということを自覚しています。確立した方法論がないということは、全ては臨床から学ぶほか手立てがないということです。当院での臨床は、おそらく皆さんが想像する以上に多忙ではありますが、 私たちは研修医の皆さんに教えられることの全てを、臨床を通じてお伝えしたいと願っています。
 臨床の場としての私たちの病院は、おそらくはいずれも国内随一の症例数と病床数と医師数を有してしますが、それとともに最先端の身体科小児医療との協働が可能であるだけでなく、小児リエゾン・子どもの虐待・緩和医療・教育や児童福祉との連携などについても実践的に学ぶことができるという特質を持っています。さらに、東京都の『医師アカデミー』という制度を借りて、後期研修としてはもっとも学びやすい条件が整備されていることも加えておきたいと思います。
  児童精神医学を学ぶことによって得られるものは、臨床家としての奥行きの深さであると言っても差し支えないでしょう。皆さんが将来目指すものが子どもも診られる精神科医であるとしても、心も診られる小児科医であるとしても、そして児童精神科としての専門性を追求することであるとしても、私たちと共に学ぶことができるものは、皆さんの生涯の宝となるに違いないことを信じて、敢えてこの狭い門を叩かれることを、心からお待ちしたいと思います。

児童精神医学を学んでみたい研修医の方々へA

児童精神科のすすめ
児童・思春期精神科 医員  遠藤 季哉
 児童精神科医の仕事は、子どもとその家族や環境の共通点を見出して一般化する(例えば病名をつける)と同時に、どうやってそれぞれの独自性を理解するかということから始まります。この科にやってくる多くは、症状が問題となる前から、様々な意味で生きにくさを感じていた子どもたちです。症状がよくなること以上に「自分はこれからどのようにして幸せに生きていくのか」という、多分子どもの数だけある、独自の方向性を見つけることが、治療のなかで大切になる場合が多いのです。
  いろいろな幸福のかたちを理解し、その子なりの幸福のあり方を、本人や家族らとともに一緒に考え、手助けしていくことが児童精神科医の仕事です。僕は、その手助けの方法として、薬物療法やカウンセリング、家族への疾病教育、発達評価などの、精神科的な技術があると考えています。面接では力動的精神療法、認知行動療法などを子どもの特性や状況によって使い分けています。親子で話し合いやゲームをしてもらったりなどの、家族療法的な手法もよく用います。
 虐待や触法行為などのケースでは、学校や児童相談所、入所施設、時には警察などと連携して、子どもの医学的な評価、入院や入所などの処遇の決定をすることがありますが、そのなかで、全体のコーディネートを求められることも多いです。そのような時は、さまざまな立場の人々の思惑を理解して、調整する作業が重要です。また、子どもにとって学校はとても大きな存在ですが、先生に子どもの特性や症状を説明して、学校に適応できる道を探すこともあれば、学校以外で将来につながる方法がないか、子どもと一緒に考えることもあります。児童精神科医の仕事は、一般に医師のものとされている範囲にとどまりません。専門性だけでは太刀打ちできない事態も数多くあると言えるでしょう。
 児童精神科の面白いところは、深刻な虐待などを除き、おおむね自分たちが経験してきたのと同じような学校や家庭での生活に、密接に関係して症状が起こっていることだと思います。例えば、学校がいやで精神症状を発現するといったふうに。
 誰もが自分なりの、かつて子どもだったころに感じた思いがあり、それを振り返って臨床に生かしていくことができるのが、この診療科です。個人的な話ですが、僕は正直言って思春期のころ、大人もこの世の中もあまり信用できなかったし、素行もほめられたものではなく、学業成績でも周囲の思いを相当裏切ってきました。しかし、そんな負の要素が、児童精神科医になった瞬間、「子どもたちの気持ちが(自分なりにですが)わかる気がする」という風に、すべてプラスに転じたのです。
 そのような意味で、児童精神科は血の通った医療のしやすい科だと思います。反面、治療が独りよがりになる危険性もありますが、そうならないよう気を配ることが、自分を常に振り返ることにつながれば、人間としていつまでも成長できるような気もします。
  また特に日本では、児童精神科には研究面で手の付けられていない分野がたくさんあり、 新しい研究がしてみたい人にとっては、宝の山といえる科かもしれません。
  何より子どもが、自分なりの幸福のあり方を見つけて成長していく姿や、家族が子どもをきっかけに成熟していく様子を見るとき、成人の精神科では味わえない幸せを感じます。
  ローリングストーンズが歌って有名な、Time is on my sideという曲があります。去って行った恋人に対して、時間を自分の味方にして君を取り戻すよ、という内容の歌ですが、僕は臨床で、「健康や幸せを取り戻す」と置き換えて、よくこの言葉を思い浮かべます。ここで言う「my side」とは、何よりも子ども自身のことに違いありませんが、同時に治療を進めていく医師や、家族をはじめとする周囲の人々のことでもあります。子どもが幸福を手に入れるために、時間を味方にできるような児童精神科医にあなたもなってみませんか。

児童精神医学を学んでみたい研修医の方々へB

当院のレジデントを志す人達へ 「子どものこころの入院治療の視点から」
児童・思春期精神科 医員(丘5病棟責任医)  宮崎 健祐
 私は梅ヶ丘病院時代から児童思春期の精神科医師として外来や入院での治療に携わってきました。その中でも入院治療は治療の最後の砦です。多くのスタッフ達と協力して日々治療にあたっています。
 子ども達の入院理由は様々です。暴力をふるってしまう、死んでしまいたい、手洗いがやめられない、食事が食べられない・・・。表面に現れる症状は様々ですが、皆“こころ”の元気を失っている状態です。
 入院治療は思考錯誤の連続です。ある疾患で標準とされている治療を用いても上手く行かないこともあります。A君の治療でうまくいった方法がB君でも同じ様にうまくいくとは限りません。なぜなら、子どもの“こころ”は子どもの数だけ存在するからです。つまり、“こころ”の治療は一人ひとりオーダーメイドでおこなっていく必要があります。我々は子どもの“こころ”の声に慎重に耳を傾けながら、丁寧に、深く、子どもと関わっていきます。
 子どもの話を聞くということは、最も基本的で大切な治療方法です。でも、子ども達はすぐには語り出してくれません。我々は常に子ども達から試されています。「この大人は本当に信頼できるのだろうか?本当に自分のためになってくれるのだろうか?」、と。我々にどれだけ経験があろうとも、職種が何であろうとも、この試練だけは平等です。
 子どもとの関係が深まってくると、子ども達は自らの“こころ”について少しずつ語りだします。時には喜びながら、時には涙を流しながら、時には怒りながら、時には無言のままに。話をするだけではなく、子どもと一緒に遊んだり、絵を描いたり、散歩をしたりもします。こういったやりとりを通して、子どもは言葉以外の形でも自らの“こころ”を表現していきます。そして、我々は子どもと同じ様に、時には喜んだり、時には(こころのなかで)涙を流したり、時には一緒に怒りながら、子ども達の“こころ”を自分達の“こころ”で感じ、受け止め、理解していきます。
 子ども達は、ある時は途方もない難問や、大人にもわからないような疑問を我々に提示してくることもあります。こういう時は真剣勝負が必要です。我々は子どもと同じように悩み、苦しみ、自らの全人格をかけてその問題にぶつかります。皆で議論しても中々答えがみつからなくて、苦しい時期が続くこともあります。でも、この苦しいプロセスは決して省くことはできません。なぜなら、このプロセス自体が一つの答えになることもあるからです。
 入院を通して子ども達の“こころ”は元気を取り戻していきます。そして、少しずつ、しかし着実に、新しい道へ向かって歩きだしていきます。
 入院治療の最後は病棟玄関でお別れです。その時病棟にいるスタッフ皆で見送ります。「今までお世話になりました」と笑顔で言う子、ちょっと悲しそうな顔をして「お別れか・・何かさみしいね」と言う子、言葉では一切語らないけど「俺頑張るからね。みててね」と背中で語る子。成長した子ども達をみて、まるで我が子のように誇らしく思うのと同時に、やり残したことはなかったのか、もっと良い治療があったのではないか、と自分達の“こころ”の中で自問自答しています。
 良い入院治療とは何だろう?・・よく考えることです。人によって答えは違うかもしれません。そもそも「良い入院」なんて存在しないのかもしれません。入院しないで済むように、最後の砦に来る前に、子ども達の“こころ”の元気が戻ってくれることが一番なのかもしれません。
 それでも、我々は必要とする子どもが存在する限り、最も良いと思われる入院治療を提供しつづけます。そして、一番大切な治療道具は自分達の“こころ”です。
 皆さんの“こころ”にしかできない子どもとの関わり方が必ずあります。皆さんの“こころ”を必要としている子どもが必ずいます。だから、是非、当院で研修をして児童思春期精神科医になってください。そして、我々と一緒に、一人でも多くの子どもが“こころ”の元気を取り戻せる方法を考えていきましょう。

このページの一番上へ戻る