松沢病院について

2014.03.25

Vol.04院長 齋藤正彦先生

―――先生の専門は認知症ということでよろしいですか。

はい、そうです。

―――松沢病院には、院長になられてからと、それ以前にいらっしゃったと伺ったのですが。

はい。1983年から91年までと、それから2012年から現在までです。

―――医師になられたきっかけは何かありますか?

あまりないかなあ。積極的に何になりたいとか考えたことがなかった。祖父が医者だったんです、開業医の。父は歯科医。父の兄弟に医者がいなくて、祖父は僕を医者にしたかったんだけど、継ぐべき病院や大きなクリニックがあるという話ではないから、医者になってもらいたいと言われたことはなかった。でも傍にいたモデルが祖父や父だったから、医者になろうかなと。あまり強い考えではなかった。

高校のころは文学者になりたかった。高校3年生の夏くらいまでは。

―――そこから理系に転換したのですか?

うーん…日和ったんだろうね(笑)。文学者で生きることは大変だなあって。文学者って言ったら大学の先生以外ポストがないでしょ。日本中いくつかしかない、それになり損ねたらっていうか、まあそこまで一所懸命考えてなかったからなんとなく医者になろうと。

―――お父様が歯科医ということで、歯科に行こうとは思われなかったのですか?

考えなくもなかったけど、歯科医になれとも言われなかったし。今、歯医者さんは、技工はよそにだしちゃうでしょ。
父の時代は自分でやっていたんだよね。家の中に技工室があって、そこで入れ歯を作ったり加工したりしていて、僕もそこに行って粘土で入れ歯を作ったり銀紙を歯にかぶせたりしてたから、そういう手作業は嫌いではなかった。
けれど、父の後を継ぐということは母の希望に沿わないということで、どっちかの希望を優先するということは……。長男だったからね、いつも父と母の顔色を見ていて、父のところに1時間いたら、おふくろのところに行って1時間いて、おふくろのところに行ったら、親父のところに行って。父と母がそうしなければさびしかったかどうかは分からない、子供3人いたし、みんなわあわあ言ってるんだから。だけど僕はいつも両方の顔色を見てた、というか、両方をさびしがらせてはいけないと思っていた。
文学者、というのは、母が、僕の6つ上の姉が亡くなるまで「有職故実」という、およそ役に立たない学問なんですけどね、紫式部の十二単の上から三番目は何色か、とか、藤原道長はお正月に何色の服を着たかとか、そういう学問をやっていてね、その母の影響で文学者になりたかった。歯医者か文学者のどっちかになると、父か母のどっちかが悲しむような気がしてた、のかもしれない。だから歯医者は選択肢にはのぼらなかった。

―――その中で精神科医を目指そう、となったのは何かありますか。

医学部にいたけれど、結局文学的なことの方が向いていると思ったんじゃないかなあ。精神分析とか精神病理学とか、あんまり文学的な精神科医にはならなかったけど。でも、分子生物学とか、いわゆるサイエンスには強い関心を持たなかった。精神科医って医者だか何だかわからない。ふふ、わからないんですよ。だから精神科を選んだ。外科の実習のとき倒れたし、血を見て気を失って。気がついたら、ope室の師長に介抱されていた。血を見るのがいや。今でもいやだ(笑)。それで精神科医になったわけではないですけど、でもそうやって、なれないものを切り捨てていったら精神科医になった。

―――精神科医とか、お医者さんになってよかったなとか、嬉しかったとかたいへんだったということがあれば教えてください。

なってよかったってねえ。僕の母親がクリスチャンで、母は、何が起こってもそれは神様の思し召しだから恨むんじゃない、と。お祈りするときに、こうなりますようにとか、例えば、明日一等賞になりますようにとか、試験で一番になりますようにとか、そういうことを言うんじゃない、と。もし明日運動場で転んでびりになったら、それは神様があんたをびりにしたいと思っているんだから、神様にああしてくださいこうしてくださいって言うんじゃないと言われて育った。それもあって、僕は、「ああ、何かしておいてよかった」とは思わない。何であれ、その置かれた場所で、母なら神様の意思って言うんでしょうし、僕はそこまでとは思わないけど、でも置かれた場所で頑張ろう、ベストを尽くそうと思うので、「ああ、何々になってよかった」とか「ああ、この人と結婚できてよかった」とか思わない。別にこの人と結婚しなくて他の人と結婚したら、同じようにその人のために尽くしただろうし。だけど「結婚してよかったな」とは思う、間違いなく。仮定法過去でものを考えないのが僕の得意なの。もしも僕が鳥だったら、って言ったって鳥じゃないから。だから、「これを選んでおいてよかったな」と思ったことはない。だって他の生き方をやり直せるわけじゃないから。
僕は、自分の運命を恨まないと言ったけどね、考えてみるととても幸せだったと思うの。少なくともここまではね。大変な目にもあわなかったし、心から後悔するというか、「ああ、ああしとけばよかった」と思うほど苦しい目にもあわなかったし。だから、今みたいなことが言えるのかもしれない。

でもまあ、精神科医って向いているかなとは思います。どこが向いているかと言われるとわからないけど。

―――医師として、今のような院長など管理職として働くことと、現場を中心に活躍する医師なら、ご自身ではどちらの方が向いていると思いますか?

どっちが好きかもよくわからない。マネージャーであるときはマネージャーを一所懸命やろうと思うし、だからといってマネージャーにすがりつく気持ちは全くない。「能力ないから出て行って」と言われたら「ああそうですか」って出ていくし。
1991年に松沢から大学にうつって、1998年に教授が定年退職するときに、ちょっと考えた、どうしようかなって。そのときに思ったのは、天下国家を論じるのはやめようって。松沢にいたとき、僕はまだ平の医員で、医長でもなかったけど、院長に可愛がっていただいて、東京都の政策に口を出したり。大学の講師になってからは教授と一緒に、いろんな医療政策について研究をしたり、話をしたりした。7~8年やって振り返ってつくづくわかったのは、だから何? So what? というか、僕らが言ったことが政策になったけれど、患者さんは全く変わらないっていう時代があった。何より恐ろしいのはものすごくたくさんの税金が使われて、本当にこれでいいのかね?と思った。だから、税金使わない仕事をしようと考えて、研究所を作ってもらった、スポンサーに。それもとってもラッキーなんだけど。それから、その人の病院の副院長をやったり、別の病院の院長をやったりしていた。それは管理職であると同時に、臨床医として自分で患者さんをたくさん診てた。
60(歳)が近くなったときに、「60になったらマネージャーを辞めて、臨床医がいいな」と思ってたんですよ。そこへある日、松沢病院長から松沢に戻らないかというお誘いを受けた。そのころ、畑のついた小さな家を借りて、週4日働いて残り3日間は畑を耕したり本を読んだりして、という生活の準備をしている真っ最中だったんだけど、それが、全く違うことになっちゃった。
今ほとんど管理職でしょう? 医者としての仕事はほとんどできない。僕は松沢病院の院長になって、松沢病院を何とかしたいと思い続けていて、経営面ではかなり変わったと思うけど、松沢病院の診察がどれだけ変わったかと言われるととても疑問で。だから週に1回、ジュニア(初期研修医)を呼んで、お昼を食べてお話をしながら、僕が思っていることを伝えようとしています。定年になったら週4日の非常勤か何かで、どっかの病棟医になって、シニア(後期研修医)とジュニアを2~3年指導できたらいいなと思ってる。

―――ありがとうございます。ここからは、院長のプライベートな部分についてお尋ねします。お休みの日はどんなことをされていますか?

休みの日はね……、休みの日でも朝早く起きて、1時間くらい仕事をして、10時くらいになったら自転車に乗って、うちの近くのお菓子屋さん、もともと京都のお店なんだけどその東京工場に和菓子を2個買いに行く。それからコーヒー屋さんでコーヒー豆を買う。僕はコーヒー豆をすごくたくさん消費して、病院においておく分とうちの分を買わなきゃいけないから、毎週必ずコーヒー屋さんに行く。それから、きこきこ自転車に乗って、クリーニング屋さんに寄って、いつも行く自然食品屋さんでヨーグルトとか納豆とか卵とか、毎週買うのが決まっているものを買って、うちに帰ってくると1時間半くらい経っている。
午後は、そのときどきだな。必ず何かをする、というのはない。必ずするのは、その自転車でおつかい、それから走ること。

―――毎週走っていらっしゃるんですか?

できればね。7~8kmくらい。遅いよ、ちんたらちんたら走っている。歩いているのとそんなに変わらない。
松沢病院が何か災害に遭ったときに、院長がしっかりしていれば……、と言われるのはいやだ。院長でいる限りは、60を過ぎてもそれなりに体力を維持しなければいけないと思って。健康に気を遣うし、体力を維持しようと思う。
趣味かと言われると、それほどでもないな。ただただ体力を維持しなくっちゃと思ってやっているから、院長職の一部。 

―――趣味を挙げるとすると、どのようなことですか?

趣味はね、趣味って言えるほどじゃないけど、学生時代はスキー部と美術部に入っていました。隣の部屋(院長室)にあるのは僕が自分で描いた絵なんです。結婚してからは妻が油絵の絵の具のにおいが嫌だとかいうから(笑)、あんまり描かなくなって。
55くらいからはね、お謡いってわかりますか?

―――私の祖父がやっていました。

やってた? そうそう。(謡の本を見せながら)こういうものです。月に何度か先生のところへ行って、お謡いを習っています。今度、国立能楽堂でやるんですよ。ピアノの先生がどっかのホールで子供を集めてきらきら星を弾かせるようなものです、素人ばっかりだけど。今、一所懸命練習してる。コンスタントにやる仕事以外のことと言えば、それだな。

子どものときからこういうことが好きなんです。母が有職故実をやっていたと言ったでしょう? 母の部屋には日本の古典がたくさんあって、わかりもしないのにちっちゃいころからそういう古典を読んでいた。子どものころから平安時代の本はなんとか読めた、だけどそれより新しい本は読めなかった。大学生のときに井原西鶴や近松門左衛門を読むようになって、江戸文もなんとか読めるようになった。ところが間にぽーんと抜けた中世の言葉、特に室町時代の言葉や文学というのはずっと疎遠だったんです。謡曲っていうのは室町時代の言葉です。だからなんとなく、そこだけが抜けているという関心があって、10年くらい前に大病をしたとき、将来暇になったらやろうって言ってるうちに死んじゃうから今やろうって(笑)。関心のあることを関心のあるうちにはじめようと思って、はじめた。

難しいのは、正座。座布団ないから痛い。板の間に正座して、30~40分じいっと座っていなきゃならない。しかも能楽堂って幕がない。舞台の真ん中まで歩いていってお客さんの前で袴をさっと揃えて正座して、謡い終わったら立って歩かなきゃならない。それが大変。毎日正座の練習をしていて、だけど板の間がないんだ、うち。こういうの(カーペット)だと板の間に正座するのと全然違う。だから玄関のたたきの上に正座をして本を読む。そして、「あと1章読み終わるまで立たない」と決めておいて、座る練習と、足が痛くても何食わぬ顔をしてきれいに立つ練習をしている。「おっとっと」とかって、格好悪いから(笑)。拍手をしてもらったりしているところでよろけないように、大丈夫だよって、すっと立たなければいけないので、その練習をするの、毎日。

―――毎週8キロ走るのも、毎日たたきの上に座るのも、ストイックですね。子どものころから何事にもそういう姿勢をお持ちだったんですか?

ストイックというよりも、いつもどうしていいかわからなくて戸惑っていたというか、いろいろ考えて行動するから自由奔放にはなれないんだ。可愛くなかったんだ、子どものころ。僕の弟はものすごくきかん坊だった。ちっちゃいとき「なんであんなこと言うんだろう」って、母親だって困っているのにね。そこでお前が泣いたらお父さんの機嫌が悪くなってお母さんが困るだろうっていうときもぎゃんぎゃん泣くのね。泣くんだけど、今弟と二人並んでいる写真を見るとね、弟の方が可愛いの。本当に可愛いの。それでね、僕は弟があんなに聞かん坊だったのにみんなに愛されていた理由が最近になってようやく分かるの。写真見せてあげようか。
(幼少期の写真を見せながら)これはね、おふくろがアルツハイマーになって、おふくろと話をするためにアルバムから取り出した写真なんだけど、こっちが僕でこっちが弟。なんかさ、僕は明らかにカメラ目線で、ガキのくせして。だけど弟は天真爛漫じゃない。例えば写真を撮られるときでも、何かするときでも、僕はどうしていいかわからなかったんだと思う。本当はものすごく感謝しているのに、あるいは、あなたにずっとそばにいてほしいのに、だけど、そういうの言えないんだよね。「ありがとうございました」とか言っておしまいになる。ガキのころからね。弟はこういう顔して、嬉しかったらすっ飛んで行って「ありがとう、ありがとう!」って言うからさ、弟の方が愛嬌がある。今でもそうですよ。僕はみんなに思われているほど、言いたいことを言ってるわけではないよ(笑)。天真爛漫にできないから一所懸命考えてこのように行動しよう、と思う。こうしようと思ったらだいたいそのように行動する。ストイックだと言って頂ければそれはそれでいいけど、むしろ他にやりたいものがないから。ほかにどうしても惹かれるものがないから、自分でこういうふうにしようと思ったらそれでいく。

―――何かマイブームはありますか?

あんまり積極的に選ばないというか、目の前で拓けたことを一所懸命やってきた。
職場だって自分で選んだことはほとんどない。大学で研修していたら、秋元院長という、当時の松沢病院の院長から電話がかかってきて、秋元先生って精神医学にとっては天皇陛下みたいな人だからね、そんな人が研修医でたまたま挨拶に行った僕のことを覚えてくれていた、というのは奇跡みたいな話でしょうし、話もしたことがなかった松下先生に誘っていただいて大学へ戻ったこともそう。大学の講師を辞めたあと、どうしようかなと思っていたら、1億円やるから研究やってみろ、なんて、テレビの世界でもないような話でしょ。累積赤字が1億円になるまでは好きなようにやっていいって言われて、老年学研究所というのを作った。結局、累積赤字は1億円にならなかったから今でもその研究所は続いている。だから、自分で選んだわけじゃないっていうけど、自分で選んだってそこまではいかないよね、っていうくらい恵まれていたんだ。そのことには感謝しているけど、それはまあ、神様がそうしてくれたからで、これからもっとひどいことが起こるかもしれない。でも起こっても文句は言わないっていうか、文句言わなくても済むくらいの苦しみの範囲で神様が許してくれるといいなっていうのが、僕の願い。したがってものすごく好きな食べ物、というのもなく。ないけど、強いて言えば柏餅が好き。

僕、劇症1型糖尿病っていう、ある日突然インシュリンが出なくなる病気で倒れて、5月のゴールデンウィークに入院してたの。病棟医が若い、今でいえばレジデントみたいな女性で、「絶対にとらやの柏餅を食べる」と言ったら泣きそうな顔して、「じゃあちょっと計算してきます」と。ごはんを減らして、「じゃあ1個いいですよ、1個食べて下さい」と言われた。でもとらやの柏餅って3種類あるんだ。僕にとって「柏餅を食べる」っていうのはそれ(3種類)を食べることだったんだけど、彼女は1個分だけしかひいてなかったの。もちろん、ちゃんと食べた、3つとも(笑)。

―――おいしいものが食べたいとか、こだわりはあまりないですか?

僕の妻はね、のろけるわけじゃないけど料理が上手いんです、すごく。糖尿病になって、カロリーの制限をしなければならないんだけど、それでもあれが食べたいとか思うことはほとんどない。結婚して以来ね、おいしいものはうちで食べる。結婚記念日だからどこかに食事に行くとか、そういう発想はあまりない。僕の療養のために妻が早く帰ってきて、フルタイムで働いているから20~30分で作っちゃうようなものですけど、それでもよそで食べるより妻の作るもののほうがおいしいし、それから妻が一所懸命作ってくれたごちそうは、どこのレストランよりおいしいと僕は思っている。

―――素敵なご夫婦ですね。

おいしいと思っているけど妻がいなくなっちゃったらいやかと言われたらそうでもない(笑)。こだわり方が淡泊なんだけど。

―――先生が料理を作られることはありますか?

妻がいなければ僕がつくりますよ。割とそれは器用につくる。いなかったら外食とか、いなかったらレトルト食品とか、そういうことはない。

―――先生から料理の本を紹介していただいている印象があるので。

ああ、病院にね。あれは僕のすすめというか、統合失調症の患者さんって一人暮らしの人が多いじゃない。だから料理の本って言っても、一人暮らしの人が楽しく料理ができるものを薦めている。 前に院長をやっていた病院って認知症の病院なんだけど、入院患者さんに女の人が多くて。『きょうの料理』みたいなものだったらおばあさん同士の会話になるでしょ。だから、古本屋で買って病院においたりしてた。通院している統合失調症の患者さん……、統合失調症ってみんなメタボなの。メタボになるんだよ。だから、そういう人たちのために買っている。それから、コンビニで売っているもので自分のカロリーをコントロールする方法とかね。

―――自分のなかで、ここは自信があるというところはありますか?

ない。負けないとか自信があるとか、思ったことはない。いつも自信がない。いつもなんか、虚仮(こけ)おどしというか。松沢病院の院長として自信があるかと言われたらそんな自信はないし、学会で理事をやっているけど、その学会をリードする医者であるかと言われれば自信はないし。ないです、これはもう本当にない。これだけは負けない、ということもない。

―――自信がないから努力する、ということですか?

まあそういうこともあるし、自信がないから体裁を繕うっていうのもあるでしょうし。口先だけは達者(笑)。だからそういう意味では、口先には自信があるのかもしれないけど。黙ってじっくり人の意見を聴くということがない。3くらい言われたら10ぐらい言い返して、いろいろな反論があったって「じゃあこれで行くからね」っていうふうになる。自覚はあるんだ、反省はしているんです。反省が実を結ばないだけで(笑)。

―――目的を達成するためにしゃべることが必要であればそういう風にしゃべる、ということでしょうか?

自信がないっていうことなんです。僕ね、患者さんに対しては、結構いい医者だと思ってるの。僕のことをこわいお医者さんだと思う統合失調症の患者さんや、認知症の患者さんはいないだろうってくらい、静かに優しくできる。医者と患者の関係っていうのは、限られた場所で短い時間しか接しないでしょ? 関心事が一つだけで、僕はあなたの病気を治したい、あなたに私の病気を治してほしい、で、僕がどんな人間であるとか、そういうこと見せなくてもいいんだよね。だけど、皆さんともそうだし他の医師や看護師さんともそうだけど、院長と医局員として、院長と事務方として会って話をしていると、その他の思いっていうのがあるじゃない。例えばあなたと話すときね、もちろん仕事のことで話をしているんだけど、でも、どう思われているかな、とか、個人的なことがぼやんと気になるんだよね。だから患者さんと接しているときのように落ち着いて穏やかにしていられなくて、いつも自信がないんだ。思いっきり自然にふるまえない。親しくなればなるほどふるまえない。

―――自信のなさから柔軟に吸収していくということでしょうか?

柔軟かどうかはわからないけど、衝撃を受けるとか、感動するっていうことが非常に少ないんだよね、僕。非常に少ないのにも関わらず、やっぱり患者さんの一言っていうのは、何かの一言が僕の印象にぽんっと残ることがあって。それは、例えばいつもわいわいぎゃあぎゃあ言っている弟よりも、まれにしか泣かない僕が泣かされたときのことを覚えている、というのと同じで、心に残るのかなって思います。

―――ありがとうございます。最後の質問です。一日の楽しみは何ですか?

楽しみねえ。……わかんないなあ。いったい僕は何を楽しみにして生きているんだろうって思わないでもない。例えばコーヒー飲むのをやめろって言われたら、明日からでもやめるだろうし。僕ね、「あなたみたいな人は懲役になっても、禁錮になってもびくともしないわね」と言われたんだよ。懲役と禁錮の違いってわかります? 懲役は働かなければいけないの。禁錮は働きたければ働いてもいいけど、閉じこもっていたければ閉じこもっていてもいいわけ。本読んでいても何しててもいい。要するに全く人と交流せずに接することなくてもあなたは悲しくないんだろうってちっちゃいころに言われてた。だから楽しいものがない。一日の楽しみ……、あまりない。ふふ。

―――では、ホームページをご覧の方々へ一言お願いいたします。

そうかあ。……そういうとき、こまっちゃうんだよ……、松沢病院をよろしく。