松沢病院について

都立松沢病院の歴史は、1879年、明治12年に上野公園の中に設置された東京府癲狂院という施設をその始まりとします。西郷隆盛の西南の役が明治10年だと申し上げれば、病院開設当時の時代背景は推測していただけるでしょう。

東京府癲狂院は、1872年に開設された東京府養育院という施設から、精神に障害がある人だけを別に移した施設でした。東京府癲狂院は1881年に本郷向ヶ丘、86年に小石川駕籠町に移り、東京府巣鴨病院と改称されます。そうして、1919年、第5代院長、呉秀三の指揮の下、現在の八幡山、当時の荏原郡松澤村に移って松沢病院が誕生しました。

ドイツ留学帰りであった呉秀三は、当時の日本の精神医療の貧困を憂慮しました。呉には、我が国の精神病者は、精神の病を持つという不幸に加えて、この国に生まれたるの不幸をも併せ持っているという有名な言葉が残っています。呉は、広大な敷地の中にコテッジ風の病棟が点在する病院を作りだしました。呉の頭の中には、ドイツの田園に広がる精神障害者の施設があったのでしょう。呉はまた、それまで当たり前だった手枷、足枷を禁止し、看護する職員の資質を高めて、精神科病院を、精神障害者を閉じ込め隔離する施設から、治療する施設へと変えようとしました。

呉秀三の改革が始まってからおよそ100年、2012年5月、新しい本館診療棟が完成し、松沢病院はその装いを一新しました。精神医療の分野にもたくさんの新しい薬が開発されました。病院は最新鋭の検査機器、治療機器を備えています。精神の病気についても、身体の病気と同様に病院で検査を受け、診断を受け、治療をすることができるようになりました。精神の病気を克服して社会生活を続ける人の数は飛躍的に増えました。

それでは、呉秀三の嘆きは、完全に過去のものになったのでしょうか。残念ながらそうではありません。確かに、100年前のような金属の手枷、足枷や馬具のような革製拘束具は姿を消しましたが、精神医療における隔離や身体拘束はいまだに続いています。精神疾患に対する、私たちの恐れや偏見は決して過去のものではありません。そうした偏見こそが目に見えない最大の拘束具なのです。私たちの前には、長く険しい道が続いています。松沢病院は、皆様と一緒にその坂道を登っていきたいと思っています。